本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
マドリードの旅(6)
![]() <ラ・キメラ(La Quimera)> |
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スペインに来て、毎晩酔っぱらわないような酒飲みは酒飲みとはいえない、というぐらい人をして酔わしめるものが、
![]() その前に少しフラメンコ(Flamenco)の歴史を眺めてみたいと思います。スペインのアンダルシア地方に生まれたフラメンコの源流を辿れば、インド北西部に行き着くといわれています。この地を原郷にしていたジプシー(ヒターノ、Gitano)たちがインドへのイスラム教徒の侵入に伴い、流浪をはじめました。彼らは僅かばかりの荷物を馬車や動物の背に積んでアジアから中近東、ヨーロッパ、北アフリカを通って、ついにはユーラシア大陸の西の端イベリア半島の南西部に辿り着きました。15世紀末のことだといわれております。その彼らがもたらした中央アジアの音楽や旅してきた土地で身につけた調べなどがアンダルシアの古い民謡と融合してフラメンコ音楽の原型が誕生したそうです。 ![]() さて、フラメンコの基本は、カンテ(Cante,歌)、トケ(Toque,ギター)そしてバイレ(Baile,舞踊)の3つの要素から構成されています。先ずフラメンコが様式を整えたといわれる19世紀の展開からみていきましょう。この世紀の半ばにセビーリャにカフェ・カンタンテ(Café cantante)と呼ばれるフラメンコ酒場が誕生します。男たちが集う酒場の隅に粗末な舞台がつくられ、そこに男女の踊り手、歌い手、ギタリストから成るグループが登場して興を添えました。この猥雑な雰囲気の酒場に誕生したカフェ・カンタンテの源は、当時、パリで流行っていたカフェ・シャンタン(Café chantant)といわれています。芸術家や文化人の集うモンマルトルのカフェの雰囲気をアンダルシア風に再現したのがカフェ・カンタンテだったのでしょう。この流行はたちまちアンダルシアの地方都市に、更にはアンダルシア人の出稼ぎたちを通して首都マドリードや港町バルセロナ、鉱工業で繁栄するバスクのビルバオにまで広がっていきました。ここにおいてフラメンコは、常設の場と芸人を生むことになったのです。更には、女性の踊り手(バイラオーラ,Bailaora)が次々に踊りついでいく構成(クアドラ形式)が生まれました。同時にギターの技法も飛躍的に発展を遂げ、伴奏楽器から独奏を聴かせる技法と様式を習得していきます。そしてフラメンコの三大要素の中心をなすのは何といってもカンテと呼ばれる歌です。カンテ・ホンド(Cante jondo:深い重厚な悲しみの歌、フラメンコの本流)とカンテ・チコ(Cante chico:軽い日常生活の歌)に分けられるようで、独特のしわがれ声と節回しで朗詠される時、聴き手(観客)は、遥かな時間と空間を超えてアンダルシアに誘われる気分になるのです。私も今回そのような不思議な体験をしました。20世紀に入ると3つの分野に夫々達人たちが現れ、たちまちフラメンコはアンダルシアを代表する芸能に飛躍し、それが今日までつづいていきます。 ![]() 大分前置きが長くなりましたが、早速にキロスさんの友人、ホセさんが推薦する老舗のタブラオ、「ラ・キメラ」の中に入ってみましょう。観光客らしき姿はなく、既に地元のフラメンコ好きの人たちで店内は一杯で、始まる前から活気に満ちています。私たちの席は一番後ろの席ですが、こじんまりした店なのでステージからそんなに離れてなくよく見えます。アットホームな雰囲気のタブラオで、これから本場のフラメンコを見られると思うと自ずと気持ちが昂ってきます。シェリーを一杯ひっかけながら、タパスをつまんで開演を待ちます。 ![]() それでは本場スペインのフラメンコをご案内いたしましょう。その狭い舞台を取り囲むように客席がしつらえてあります。音楽の質のレベルは非常に高く、透明な音色ですが、どこか、パリなどと違って、鄙びてのんびりとした趣があります。喧噪を伴わないが、よどんだ重い沈黙が、ただ次第に熱を内に孕んできます。スペインの崇高さに触れるには、卑俗の門をくぐることを恐れてはならないことを思い知らされました。シェリー酒を1杯飲むうちに、夜が深まるのであろうか、星の輝きが増してくるように思えます。ほどなく中央に貫禄十分のカンタオーラが、右手に男(バイラオール、Bailaor)と女(バイラオーラ、Bailaora)の踊り手、左手にギタリスト(トケ、Toque)を従えて座り、 ![]() 勿論、踊りは、ある共同体の呪術や祭式と共にはじまったという、感性の共同体への参加と一体化という発生起源をもっていますが、全ての芸術がそうであるように、そこから、次第に自律したフォルムをつくりだしていったことも事実であって、その時、はっきりとした踊り手というものが生まれたと思います。このことは秋田の「西馬音内盆踊り」(vol.74、75、76、77をご参照ください)を見た時にも感じたことです。誰でも踊れるだけが踊りではありません。ただ踊るためにのみ生きるに値する人間がいる時、舞踏は舞踏として人間の単なる気晴らしを越えた、ある種の恍惚の世界を垣間見させてくれることをこのフラメンコを見て感じることができました。フラメンコの魅力は、舞踊の全ての特権を直截熱烈に教えてくれるように思います。フラメンコを愛する人たちに包まれた狭い空間、いい雰囲気の中だからこそ生まれる満足感のようなものがここにはありました。 フラメンコという語原も、貧民窟のジプシーをさすスペイン語、フラマー(Flama)=焔からきたという説もありますが、その当否は兎も角、この説は多くの夢想を駆りたててくれます。 ![]()
マドリードの夜には、人間のもつ原初的なエネルギーが横溢していました。 | ||||
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