本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏

マドリードの旅(6)


<ラ・キメラ(La Quimera)>
 スペインに来て、毎晩酔っぱらわないような酒飲みは酒飲みとはいえない、というぐらい人をして酔わしめるものが、 スペインにはあります。さあ、これからマドリードの中心地から少し離れたところにあるタブラオ(フラメンコを鑑賞できる酒場)の名店「ラ・キメラ(La Quimera)」へ出掛けることにしましょう。
 その前に少しフラメンコ(Flamenco)の歴史を眺めてみたいと思います。スペインのアンダルシア地方に生まれたフラメンコの源流を辿れば、インド北西部に行き着くといわれています。この地を原郷にしていたジプシー(ヒターノ、Gitano)たちがインドへのイスラム教徒の侵入に伴い、流浪をはじめました。彼らは僅かばかりの荷物を馬車や動物の背に積んでアジアから中近東、ヨーロッパ、北アフリカを通って、ついにはユーラシア大陸の西の端イベリア半島の南西部に辿り着きました。15世紀末のことだといわれております。その彼らがもたらした中央アジアの音楽や旅してきた土地で身につけた調べなどがアンダルシアの古い民謡と融合してフラメンコ音楽の原型が誕生したそうです。 15世紀末と言えば、スペインがレコンキスタ(Reconquista,国土回復運動)に勝利して国家統一を果たした時期です。カトリック教への一本化を計るスペインがジプシーたちを温かく迎えたとは言い難い。イベリア半島内での流浪と迫害の後にジプシーの芸人たちが身につけた音楽は更に全スペイン的なものとなっていきます。フラメンコの調べには北スペインの音楽らしきものが混じっているのはそのせいらしい。またフラメンコの旋律にはジプシーが流浪してきた東欧やイスラム圏の音楽、新大陸交易を通じてもたらされた中南米の影響もあるといわれています。だが、多彩な素材を貪欲に飲みこんでほどよくスパイスを利かしたのはアンダルシア、つまりはフラメンコ芸術の揺籃の地です。「人口的にはほんの僅かなジプシーが、スペイン的なるものに、むしろアラブ文化よりも大きな影響を与えている!」と述べたのはミゲル・デ・ウナムーノ(1864-1936、スペインの哲学者)でした。
 さて、フラメンコの基本は、カンテ(Cante,歌)、トケ(Toque,ギター)そしてバイレ(Baile,舞踊)の3つの要素から構成されています。先ずフラメンコが様式を整えたといわれる19世紀の展開からみていきましょう。この世紀の半ばにセビーリャにカフェ・カンタンテ(Café cantante)と呼ばれるフラメンコ酒場が誕生します。男たちが集う酒場の隅に粗末な舞台がつくられ、そこに男女の踊り手、歌い手、ギタリストから成るグループが登場して興を添えました。この猥雑な雰囲気の酒場に誕生したカフェ・カンタンテの源は、当時、パリで流行っていたカフェ・シャンタン(Café chantant)といわれています。芸術家や文化人の集うモンマルトルのカフェの雰囲気をアンダルシア風に再現したのがカフェ・カンタンテだったのでしょう。この流行はたちまちアンダルシアの地方都市に、更にはアンダルシア人の出稼ぎたちを通して首都マドリードや港町バルセロナ、鉱工業で繁栄するバスクのビルバオにまで広がっていきました。ここにおいてフラメンコは、常設の場と芸人を生むことになったのです。更には、女性の踊り手(バイラオーラ,Bailaora)が次々に踊りついでいく構成(クアドラ形式)が生まれました。同時にギターの技法も飛躍的に発展を遂げ、伴奏楽器から独奏を聴かせる技法と様式を習得していきます。そしてフラメンコの三大要素の中心をなすのは何といってもカンテと呼ばれる歌です。カンテ・ホンド(Cante jondo:深い重厚な悲しみの歌、フラメンコの本流)とカンテ・チコ(Cante chico:軽い日常生活の歌)に分けられるようで、独特のしわがれ声と節回しで朗詠される時、聴き手(観客)は、遥かな時間と空間を超えてアンダルシアに誘われる気分になるのです。私も今回そのような不思議な体験をしました。20世紀に入ると3つの分野に夫々達人たちが現れ、たちまちフラメンコはアンダルシアを代表する芸能に飛躍し、それが今日までつづいていきます。

 大分前置きが長くなりましたが、早速にキロスさんの友人、ホセさんが推薦する老舗のタブラオ、「ラ・キメラ」の中に入ってみましょう。観光客らしき姿はなく、既に地元のフラメンコ好きの人たちで店内は一杯で、始まる前から活気に満ちています。私たちの席は一番後ろの席ですが、こじんまりした店なのでステージからそんなに離れてなくよく見えます。アットホームな雰囲気のタブラオで、これから本場のフラメンコを見られると思うと自ずと気持ちが昂ってきます。シェリーを一杯ひっかけながら、タパスをつまんで開演を待ちます。 最近のマドリードのタブラオの舞台では伝統的なフラメンコに新しい演出を加え、観光客向けの新形式のフラメンコを演じているようですが、ここ「ラ・キメラ」は伝統的な本来のフラメンコを味わえそうです。舞台はさほど広くはないというより、思ったより狭いといった方がいいかもしれません。マイクなどは一切使わずに、歌、ギター、カスタネット、手拍子、そして踊りだけで、その場の感情を表現します。踊り手の息づかいを感じる距離で見ることができます。ある時は静の中に動を秘めた動きを見せる踊り子、それは歌手でもあります。カスタネット、手拍子、タップ、ギターの奏でる音、そしてスペインの夜は更けていきます。
 それでは本場スペインのフラメンコをご案内いたしましょう。その狭い舞台を取り囲むように客席がしつらえてあります。音楽の質のレベルは非常に高く、透明な音色ですが、どこか、パリなどと違って、鄙びてのんびりとした趣があります。喧噪を伴わないが、よどんだ重い沈黙が、ただ次第に熱を内に孕んできます。スペインの崇高さに触れるには、卑俗の門をくぐることを恐れてはならないことを思い知らされました。シェリー酒を1杯飲むうちに、夜が深まるのであろうか、星の輝きが増してくるように思えます。ほどなく中央に貫禄十分のカンタオーラが、右手に男(バイラオール、Bailaor)と女(バイラオーラ、Bailaora)の踊り手、左手にギタリスト(トケ、Toque)を従えて座り、 いよいよフラメンコのはじまりです。彼女らが座っているだけでフラメンコの気分が溢れ出てきます。これが芸というものか、いや、芸以前の血のようなものを感じてしまいます。舞台の上では、彼女の歌に合わせて先ずは女性が踊りはじめました。汗を顔に滲ませて懸命に踊るバイラオーラには、客席に対する媚が全く見られないのです。見られ、賞賛されている自分に対する誇り、客に直接奉仕しているのではなく、時には野卑なまでに誇張された表現に身をゆだねながらも、身を踊りにのみ捧げつくしている傲慢といっていい誇りが、狎れ狎れしい視線の愛撫を拒んでいるようにも見えます。スペインで生のフラメンコを見るのは初めてでしたので、その時の衝撃はかなりのものでした。迫力ある足さばき、飛び散る汗、激しいリズム。彼女の素晴らしくも力強い踊りに只々見とれてしまったことを憶えております。
 勿論、踊りは、ある共同体の呪術や祭式と共にはじまったという、感性の共同体への参加と一体化という発生起源をもっていますが、全ての芸術がそうであるように、そこから、次第に自律したフォルムをつくりだしていったことも事実であって、その時、はっきりとした踊り手というものが生まれたと思います。このことは秋田の「西馬音内盆踊り」(vol.74757677をご参照ください)を見た時にも感じたことです。誰でも踊れるだけが踊りではありません。ただ踊るためにのみ生きるに値する人間がいる時、舞踏は舞踏として人間の単なる気晴らしを越えた、ある種の恍惚の世界を垣間見させてくれることをこのフラメンコを見て感じることができました。フラメンコの魅力は、舞踊の全ての特権を直截熱烈に教えてくれるように思います。フラメンコを愛する人たちに包まれた狭い空間、いい雰囲気の中だからこそ生まれる満足感のようなものがここにはありました。
 フラメンコという語原も、貧民窟のジプシーをさすスペイン語、フラマー(Flama)=焔からきたという説もありますが、その当否は兎も角、この説は多くの夢想を駆りたててくれます。 舞踊の合の手にかける掛け声「オーレ!(Olé!)」は、アラビア語の「アッラー」の神が訛ったものともいわれています。その掛け声の特徴は、独特な発声からくるのでしょうか、しわがれ声ともいえるほど、男も女も、枯れた悲哀に満ちた深い低い叫びで母音をひっぱって小節をまわす。それは予め、人の手によって温かく育てられ、人と人とのいわば快感による連帯のために心地良く聞かされるように飼い馴らされた声ではなく、他者との断絶のうちに隔絶され、いくら言葉にしても、到底分かってもらえないし、分かってもらおうともしなくなった、絶望と倨傲のあまり、思わず胸を突いて出た叫びのように思われます。だからその声は、野卑でありながら、存在の重みに耐えた荘厳さを響かせるのでありましょう。悲惨と栄光、卑俗と尊厳の両極の一致が見事に生きているようにも思えました。そこにドン・キホーテとサンチョ・パンサの類比を見ることもできるはずというのは少し思い込みでしょうか。暗く悲痛な響きをもつカンテ・ホンドは、まさに実存的といっていい深い憂愁に華ひらいているようです。そこには熱烈な苦悩はあっても悲しみのよぎる隙間さえないと思えるからです。
 舞台ではカスタネットが陽気に鳴り、強烈なサパテアード(Zapateado:フラメンコ独特のタップ)やパルマス(Palmas:手拍子)がビシッ、ビシッと叩くように響き、華麗な衣装の波立つ渦を巻きおこしていましたが、踊り子(バイラオーラ)の眉間には深い苦悩の皺が縦に刻まれたまま、決して微笑しようとはしない。西洋の舞踊が、常に微笑を仮面のようにはりつけていて観客に媚びるのと何という違いであろうか。東洋では微笑はなくとも、逸楽の眼差しが濡れています。しかし、フラメンコは、殆ど苦悩に耐えかねたかのように、突然激しく、筋肉を使い尽くすかのように全身をのたうたせて自らの肉体の極限までのぼりつめているように思わせます。舞台上で男と女の踊り手は愛とエロスを巡って対峙しています。それは他の舞踊よりもはるかにあからさまで野卑であるといっていいかもしれません。男性のフラメンコの踊り手(バイラオール)が、黒い
スーツ姿で見事な踊りを披露してくれました。でも、フラメンコは外面的な華やかさや見せかけで聴くものでなく、心で聴くものだということが見ているうちにだんだんと分かってきました。同時に、フラメンコはやはり夜の音楽だ、と思いました。
 「ラ・キメラ」の実演をお楽しみください(夫々にいくつかの動画が入っております)。

https://www.youtube.com/watch?v=gNXFk1MiNJo
https://www.youtube.com/watch?v=F2njQCI3tZA
https://www.youtube.com/watch?v=i08QfngtfgA
 友あり遠方より来るまた楽しからずや―とキロスさんとシェリー酒を酌み交わし、魂を揺さぶる旋律と踊りよりも、ただ静かにソレア(Solea,フラメンコの最も古い形といわれる、深みと威厳のある曲)に聴き惚れる、これこそがフラメンコの本当の醍醐味なのかもしれません。
 マドリードの夜には、人間のもつ原初的なエネルギーが横溢していました。