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ボルドー便り vol.30
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本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- 閑話(その3):ポイヤック・ワインの不思議な巡り合わせ - シャトー・バタイエ |
ボルドーへ留学する前に不思議な場面に遭遇しました。 それは在日フランス大使館のある外交官ご夫妻と夕食を共にしている時のひとコマです。シャンパンを飲みながら真っ先に尋ねられたことは、「ムッシュー・カネコ、あなたはどうして若い時からわが国の文化のひとつであるワインというものに興味をもたれたのですか」ということでした。「それは美味しかったからです」と答えました。「初めて味わった貴国のワインが美味しかったからです」と。実際のところ、当時初めて飲んだワインがどれだけ美味しく感じたかは今となっては定かではありません。それから再び尋ねられました。「その初めて飲まれたワインは、ボルドーですかブルゴーニュですか、それともロワールかローヌ、あるいはアルザスですか」と。「それはボルドーワインです」。「そのボルドーワインはどの産地のものですか」と。「それはメドック地方のワインです」と答えました。彼はグラスを取りあげ、シャンパンを一口すすると、「それでは、メドック地方のどの村のワインですか」と尋ねました。何か段々ゲームをしているような感じになってきました。「それはポイヤック村のワインです」と答えました。すると彼は眼をとじて一息入れ、またシャンパンを一口すすると興味津々に、「そのポイヤック村のシャトーは何という名ですか」と尋ねてきました。「そのシャトーの名は、<シャトー・バタイエ(Château Batailley)>です」とわたしが答えた途端に、彼は大袈裟にびっくりした様子で顔を紅潮させ、それから大変興味深い話を語りはじめました。わたしの眼はもう彼に釘づけになっていました。「実はわたしの父親は、その<シャトー・バタイエ>の醸造長を1965年まで務めていたのですよ」とおっしゃられたのです。わたしは、思わぬ話の展開にびっくりしてしまい、彼の顔を一心に見つめたまま、「わたしの記憶に間違いなければ、初めて味わった貴国のワイン、<シャトー・バタイエ>は1964年のものです。それはまさしくあなたの父君がシャトーでおつくりになられた最後のワインではないでしょうか」と興奮気味に話しました。彼は静かに頷くと、「驚きました、その通りです。父親が<シャトー・バタイエ>の醸造責任者として最後につくったワインは、まさにあなたのいわれた1964年ものです。わたしにとっても1964年の<シャトー・バタイエ>は大変思い出のあるワインです」と、彼は打って変わって今度はしんみりと感慨深げに語ってくれました。 わたしは思わずシャンパンをごくりと飲み干し話をつづけました。「わたしは、初めて飲んだそのワインを記念として、小さなカーヴにもう1本だけとってあります。近々、貴方の父君を思い出しながら味わってみましょう。父君のことシャトーのこと、そしてワインについていろいろ語り合いながら」と。わたしにとってはまさに感激の一瞬でした。偶然とはいえ、彼の話にとても不思議な縁(えにし)を感じたのです。 自分が初めて飲んだフランスのボルドーワインが、何千とあるボルドーのシャトーの中で、何と、今目の前におられる外交官の父君が、それも最後につくられた記念すべき年のワインであったとは! お互い驚き、大いに感激し、そのあとに静かな感動の余韻が残りました。 この一瞬の静けさを壊さないように、今まで黙って聞いておられた彼の奥様はそっと一言、「すばらしいロマンですわ」とおっしゃられました。 その1本のワインがきっかけとなり、わたしがその<シャトー・バタイエ>の生まれた故郷のボルドーへ旅立つことになったとは、何とも不思議な巡り合わせです。 このようにワインには、ワインそのものの味覚の楽しさと共にいろいろな面白さとの出会いがあるのです。 彼と一緒に飲むのを楽しみにしていた<シャトー・バタイエ 1964年>は、お互いの時間が合わなかったり、そのうちわたしの方が先にフランスへ渡ったりしてとうとう味わう機会を逸したままに、今でもわたしの小さなカーヴに40年以上もの長い歳月を経て、ひっそりと静かに眠っています。<シャトー・バタイエ>は寿命の長いワインといわれています。芳醇で魅惑的な香り保って、きっとわたしたちの再会の日まで最良な状態で待っていてくれることでしょう。 その後も何度か<シャトー・バタイエ>を飲む機会がありましたが、味わう度にあの時のシーンを思い出し、独りロマンにひたっています。今思うと、40年近く前に初めて飲んだ<シャトー・バタイエ 1964年>は、おそらくかなり強烈な香りのある、タンニンも強く、まだ若く殻を閉じたままの状態であったと思います。果たして当時、本当に美味しく感じたのかは正直のところはなはだ疑問ですが、異国のワインに今までにない美しい色と強烈で複雑な香りと味を感じたのでしょう。それとも初めて飲むフランスワインの“シャトー”という言葉そのものに多分に幻惑されたのかもしれません。 前回の《ボルドー便り》に書きましたように、10年ほど前に妻とマウンテンバイクに乗ってシャトー巡りをした時に、この<シャトー・バタイエ>を探したのですが、ジロンド河からかなり奥まったところに巨木に囲まれて建っているというシャトーはとうとう見つかりませんでした。道に迷ってしまい、人っ子一人いない葡萄畑の真中で途方にくれ、夕闇も迫りついに断念したという悔しい思いがあります。 野性のシクラメンが咲き乱れる広い庭をもつ、愛らしい<シャトー・バタイエ>を念願叶って訪れたのは、それから5年後のボルドー留学中のことでした。大変感慨深いものがありました。わたくしのポイヤック村への想いは尽きません。 初めて口にしたボルドー・ポイヤック村のワインにまつわる思い出です。 |
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