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ボルドー便り vol.33
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本場ボルドー仕込み ワイン研究家 金子三郎氏 |
- 二人の作家の見たボルドー(その1) -
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あけましておめでとうございます。Bonne année! さて、今回は2回に亘りわが国を代表する二人の作家、遠藤周作(1923-1996)と島崎藤村(1872-1943)が、かつてボルドーの街を訪れ、どう感じたのかをみていきたいと思います。ボルドーについては、わが国でも、ワイン書をはじめ旅行書等には数多く記載されておりますが、さて小説やエッセイの題材として取り上げられているとなるとこの二人の作品以外には知りません。私が知らないだけかもしれませんが・・・。やはり小説・エッセイをはじめ文化・芸術の面では圧倒的にパリ、当時からフランスといえばパリ以外には眼中になかったのでありましょう。 この二人で興味深いことは、ボルドーの街の印象が全く対照的であるということです。これは、遠藤が27歳という若さで、現代カトリック文学の研究のため、1950年から3年ほど留学生(リヨン大学)としてフランスに渡り、研究の対象になっているボルドーの3M(モンテーニュ、モンテスキューそしてモウリャック)と讃えられる一人、カトリック作家のモウリャックが生まれ育ったボルドーにその足跡を探し訪ねたこと。一方、藤村は姪との過ちという重い問題を抱えたまま1913年(41歳の時)に、逃避行のためにフランスへやって来て、リモージュからパリへの帰途、偶々ボルドーへ立ち寄ったという、二人には大きな境涯の違いが底流にあります。ところが面白いことに遠藤は憧れのボルドーの街に幻滅を感じ、逆に藤村の方はボルドーに好印象もち楽しんだというから皮肉なものです。これは、遠藤が熱い期待を抱いてやって来たのに対し、藤村の方は旅のついでに軽い気持ちで立ち寄ったという、ボルドーに寄せる二人の思いの丈の違いが大いに関係するように思います。時代背景も、また訪ねた季節・天候も真夏の晴天続きと晩秋の雨模様と、違いがあるのも面白いところです。 先ずは、遠藤の処女作『フランスの大学生』(1953年刊)の方からみていきましょう。 1951年8月3日の日記にはこう記されています。「黄昏、ボルドオ(遠藤はボルドーを「ボルドオ」と書いていますので原文のままとします)に着いた・・・。トウルーズから西に走る汽車が雨の中を漸くギャロンヌ河までたどりついた時、やっと空は割れ、まぶたに重いほどの白い光がさしそめた。車室のなかで、ぼくはずっと独りだったのだが、いつの間にか、若い労働者が女をつれて、ぼくの前に座っていた。(中略) 重い低い雲の下を汽車は順調に走り続けていた。いつの間にか、ねむった。夢のなかで、ぼくは日本におり、汽車にゆられて海べりのどこかを旅しているような、そんな気になっていた。眼がさめた時、口はにがかった。そして、ここは、やっぱり、葡萄畠や、あわれな寒村をすぎていく西フランスの汽車のなかだった。 黄昏、汽車は、松林と羊歯と喬木とに覆われた「曠野(ランド)地帯」を喘ぎながらくだっていった。遠く、雨雲をはらんだ空の向うに僅かに洩れる夕日に照りおとされながら、ぼくは獣のように黒々とうずくまっているボルドオの街、そのサン・アンドレの教会(カテドラール)の蒼い、細い尖塔をみとめることが出来た・・・」と書きはじめます。確かに18世紀の石造りの街であるボルドーは、全体に煤けた印象があるのは歪めません。それを若き文学研究者の目には“獣のように・・・”と映り、これからの旅を暗示しているかのようです。 翌日の日記にはこう綴っています。「ボルドオ、八月の午後の光がぎらぎら照りつけている公園のなかで、樹々は暑さのためしなだれていた。灌水車は、散水してもすぐ干からびてしまう路を狂ったように何遍も往復していた。街は砂漠のようであった。おおむねの市民はビアリッツ海岸やピレネー山脈に避暑にでかけ、そうした休息から見離された労働者、小市民だけが、この暑さと疲労との中を、くるしげな表情で動き回っていた。安宿の中でじっとしていることは息ぐるしかった。鎧戸をちょっとでもあけると、向い側の屋根から反射してくる西日が鉛のようにとけて流れてくる。ぼくの泊まっている宿ランベールはモウリャックの『黒い天使』のなかで、飢えと寒さとに病気になった学生ブリエルが淫売婦アリーヌの情夫となって住んだ家なのである。ぼくがこうして、ねそべり、何もよまず(モウリャックの本を窓ぎわの憐れな机の上に二日間、開かれもせず投げ捨てられていた)、ただ、煙草だけをふかしているこの部屋、うす汚く凹み澱んだこのベッドの周囲にはアリーヌの太った肉体からかもしだされる甘ずっぱい腐った臭いが漂ってくるのだった。 この安宿の中にじっとしていることはたまらなかった。ぼくは、ギラギラと、まひるの灼熱の中に浸っている街を歩きまわり始めた。トルヌイ広場からクレマンソウ通りを抜け、キャトリーヌ街を歩いた。ヴィクトワール広場を通った。文科大学をみた。オペラ座をみた」とあります。なるほど、若き遠藤も、いずこの文学青年と同様に、まずは好きな作家の書いた小説の中に登場する宿や縁(ゆかり)の場所の類を訪ねることは一緒なのだなと妙に感心し、微笑ましくも思いました。読んでいると、こうしてかつて自分の住んでいたボルドーの街の通りや建造物の名前が出てくるのは何とも懐かしくうれしいものです。藤村も『エトランゼ』の中で、「どうかすると私は町を歩き廻って居るうちに、静かに見て廻るのを楽しんで居るのか、歩き廻らずには居られなくて歩いて居るのか、その差別すらつけかねるように思うこともあった」と記していますが、私もボルドーに来た当初は、藤村が言っている言葉に近い気持ちでうれしさの余りボルドーの街々を只管彷徨っていたように思います。 でも、遠藤は重苦しい気持でつづけます。「どの辻にもどの路にも、夏をこの都市に残らねばならぬ、労働者と小市民が、非常に疲れた表情で動きまわっていた。彼らはこの暑さの中で、どう、身を処理していいのかわからぬ焦燥感をもっていた。彼らには全く出口がないらしかった。灌水車は散水してもすぐ乾ききってしまうほこりっぽい路を狂ったように走りまわっていた。とにかく、ぼくも元気をださねばならなかった。再び足を曳(ひきず)って、モウリャックが子供の時かよったミイライユ町の幼稚園までいった。ふるい黒ずんだそのセメント壁の窓はどれも固く閉ざされている。貧しい家と家とが、両側から息苦しく圧迫してくるこの路には、油の匂いが一杯つまっていた」と、苛立ちを隠しません。 そして、「この手帳をぼくはドウフウール・ドウベルジイエ街の片隅の珈琲店で書いている。この路は、モウリャックが悲しい少年時代と、パリの文壇に詩集『合掌』をもって迎えられるまでの文科大学在学期間とをすごした所なのである。その彼が歩き、その彼が夢み、そしてそこで一人の「小説家(ロマンシエ)」が育っていったこのボルドオの街は、ぼくに何も語ってくれない。何故だか知らぬが、ボルドオはリヨン、ルーアン、ブールジュ、グルノーブル、・・・・・この一年間に旅してあるいたフランスのどの街よりも、ぼくを疲れさせる」とまで言っています。そしてとうとう、「何のために、この重い沈殿した街に来たのか。モウリャックを再び、はっきりと読みかえし、八年間、ぼくが超えられなかった彼を今度こそは決算するために。だが現実にみたボルドオは少しも生きてこないではないか。かつて、日本でモウリャックを読みはじめた時、この未知の街を、いくたび心に描いたことだろう」と、現実との大きな落差を嘆きます。そして「樹々にとりこまれた悲しい街」はそれをとりまく、葡萄畠と、海のようにざわめく松の林と、そして不毛の曠野地帯とともに、タランス教会から、ガンベッタ広場におりる路まで空んじていたのに、と遠藤はため息まじりに諦めといいようのない悲しみと怒りを抑えきれずにいます。『黒い天使』からメルデイック町の陰惨な家々を透視し、それらの辻、それらの路はあのモウリャックのどす黒い作中人物と共に若い遠藤のなかで喘ぎ息づいていたはずなのに。だが、「今日、現実に訪れたボルドオは生きてこない。何か、ぼくの想像していなかった厚い膜が、覆っているみたいだ。疲弊した老人のようにしぶとく、異国人のぼくを拒み、話しかけてこない。「作家論」を書こうとする評論家にとって、この状態ほど、かなしいことはないのだ。「それは暑さのためなんだ」とぼくは自分に言いきかせた。あたかも、明日にでも大西洋から雨雲がながれ、この街が涼しさに生きかえったならば、ぼくの心の中のボルドーも蘇るかのように」と。遠藤のやるせない感懐に胸が迫る思いがいたします。 そして翌朝、遠藤はモウリャック論の重要な部分を読み返し、モウリャックの痕跡を訪ねて、再びボルドーの街を彷徨い歩きつづけます。そして2週間滞在したボルドーを後にします。 「何処へ?ギャロンヌ河の向うから、炎煙のように八月の入道雲がもえ上がっていた。その向う、ボルドオの彼方の地平線は、黄濁した熱気の膜に覆われていた。それをもう一度、最後にもう一度ぼくは凝視(みつ)めた。それからぼくは歩きだした・・・」と結んでいます。 私は、遠藤と自分のボルドーへの想いがたとえ違っていても、この『フランスの大学生』こそは、若き日の遠藤周作という作家のみずみずしい感性をひしひしと感じる珠玉のエッセイだといまだに思っています。 遠藤は<あとがき>で、「ぼくは向うの青年からいろいろなことを教えられたが、それを一言でいえば、人間に対する執拗な好奇心と真実は真実として言う勇気だった。このことだけは生涯、信条としてぼくは文学していきたいと思っていると」と述べています。 島崎藤村のボルドーについては次回お話することにします。 |
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